海石榴市(つばいち)

 
 紫は 灰さすものそ 海石榴市の 八十の衢(やそのちまた)に 逢ひし子や誰
                                   (不詳 12−3101)

 たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 道行く人を 誰と知りてか
                                   (不詳 12−3102)

 
古代人の交遊の場として有名な海石榴市。現在は全く面影はなく、山の辺の道の風情もほぼ終了した、何の変哲もない道に碑が建つ。近くに「つば市観音」があるが、これもふつうの民家風の建物である。
このあたりに歌垣(若い男女の歌の交歓会のようなもの)が設けられ、若い男女がしきりにハントをし合った。3101番の歌も、女の子を誘っている。「そこを行く彼女、あなたは誰?」と声をかける。名前を教えてもらえれば、それは気があるということ。
それに対して、女が返事を返す。「母の呼ぶ本名を教えてもいいけど、たまたま行きずりに出会ったあなた、私はどなたか存じませんのよ。」と、断りも受け入れもしない。こういうやりとりを詠んだとき、古代人との間に血が通ったような気になる。1200年以上の時を経て、政治も文化もすべて変質してしまったが、このほのぼのとした男女のやりとりは心に響く。万葉故地としては何の面影もないが、三十一文字が受け継がれてきただけですべてがあるような気がする。

万葉歌碑

つば市観音堂