「曽根崎心中」道行ルート体験テクテク
大阪文学散歩もど記 番外編
近松門左衛門の代表作「曽根崎心中」は、内本町の醤油屋の手代・徳兵衛と、曽根崎新地の「天満屋」の遊女・お初の心中物語。天満屋を抜け出したお初・徳兵衛は、蜆川にかかる梅田橋を渡って、天神の森へと向かう。天神の森は露天神社、俗に言うお初天神である。
蜆川は曽根崎川とも言い、現在の堂島川の北側を流れていた。つまり、当時は「中之島」が二つあったわけで、北側の中之島に新地があった。川は明治時代の大火で埋め立てられてしまったが、現在の曽根崎新地通の南側の家並みがその川筋にあたる。現在の曽根崎新地は四つ橋筋の東側に広がるが、当時は四つ橋筋よりも西側が中心、お初のいた天満屋もこのあたりにあった。
お初・徳兵衛は元禄十六年四月七日に心中する。二人の「心中道行ルート」を歩いてみようと思う。大阪の一番の盛り場であるわけで、もとよりはっきりとした道行ルートが残っているわけもない。だからこそ、おもしろいとも言える。目的地のお初天神だけははっきりしている。死ぬ気で歩いた二人連れに対して、興味本位だけの男一人。季節も時間も全く異なるが、ともかく歩いてみようと思う。
(某月某日午後2時)
二人が抜け出した天満屋は、「梅田橋」の近く。しかし、さっそく「梅田橋」がわからない。モニュメントも碑もなく、検察庁、NTTビルの前をウロウロしていたら、「梅田橋ビル」の看板を発見。このあたり、現在の感覚で「梅田」と呼ぶには少々地域が離れているので、これは昔の橋の名前をふまえているのだと判断。五階建の小さな雑居ビルだが、このビルの前を心中体験のスタート地点とさせていただきます。心中を体験する訳ではないが。
出入橋を渡り、国道2号線の二本南の道を歩く。飲み屋、コンビニ、麻雀屋、病院など、様々な店舗が並ぶ。すでに北新地の領域に入ってきた気もするが。
出入橋
(2時20分)
しばらく行くと、アバンザの裏に「堂島薬師堂」という建物があった。近未来型とでも言うべきか、ドーム型のお堂である。説明文によると、推古朝のころから記録にある由緒正しいお寺らしい。ただし、このドームは6年ほど前に建設。お初・徳兵衛も道行の途中、横を通ったのだろうか。そういえば、町の風景を見るのに必死で、お初・徳兵衛のことをすっかり忘れていた。
(2時25分)
新地の中を進む。夜にそなえて仕込みに忙しい。魚のトロ箱を積んだ車が走る。割烹着を着た兄ちゃんが走る。大阪一の高級飲み屋街らしいが、私らには縁遠く、滅多に来ることもない。町全体がごちゃごちゃしているという感じではないが、京都の祇園のような「艶」はないと思う。
御堂筋に出る手前、滋賀銀行ビルの側壁に「しじみばし」のモニュメント発見。当時、蜆川にかかっていた橋のひとつだ。西から、梅田橋→緑橋→桜橋→蜆橋→難波小橋と橋が並んでいた。
(2時30分)
お初天神は近いのだが、新地の中に碑があるので寄り道する。曽根崎新地のほぼ中央部の歩道に、曽根崎川(蜆川)跡の碑が建つ。またその隣には、蜆橋のレリーフの碑が並んでいる。ただし、この碑はここへ移されてきたもので、本来の蜆橋の位置は先ほどの滋賀銀行のあたりだと思う。
川跡の碑の写真を撮ろうとしたら、碑は前の酒屋の道具置きになっていた。中から店員さんが飛び出してきて、道具を片付けてくれる。「このあたり川が流れてたんですよ」と教えてくれはる。いい人だ。
また、碑の向かい側あたりが「心中天の網島」の河庄があったところで、「茶屋『河庄』の跡」と記した碑がある。
曽根崎川(蜆川)跡の碑
蜆橋のレリーフの碑
「茶屋『河庄』の跡」碑
現在の新地通
(2時35分)
お初天神ももうすぐそこ。梅新の交差点着。前後左右、すべての方角から車がわいて出てくる。のんびり「道行」している気分ではないが、信号を渡るとすぐにお初天神到着。
当時の天神の森は、まっ暗闇のさびしい地。手に手を取って、天満屋を飛び出してきたお初と徳兵衛。ようやく死地に到着した。逃避行も終わりだ。覚悟の道行とは言え、いざ天神の森に着いた二人はどんな気持ちだったろう。
いつしか、この社をお初天神と呼ぶようになった。
この事件が起きたあと、近松はすばやく戯曲化し大当たりする。これを機に、名作を次々と発表する。
さて、現在のお初天神はキタの盛り場の中に埋没し、当時の風情は全くない。境内は意外に広く、サラリーマンの憩いの場となっている。神社側もあきらめたのか、そこら中にベンチと吸い殻入れを置いている。ネクタイ姿で休憩する人も多いが、本殿に手を合わせに来る人もひっきりなしである。
写真を撮りながらゆっくり歩いても、30分程度の道行であった。もとよりお初・徳兵衛の気持ちを追体験することはできなかったが、ふだんあまり行かない町の表情を存分に眺めることができて楽しかった。梅田橋を出発するときは晴れていたのに、何だか曇ってきて雨が降りそうな空になってきた。お隣のお初天神商店街に逃げ込むことにする。