大阪文学散歩もど記  〜住吉大社〜

ちょうど夏祭りの日に訪れた。大きなみこしを中心に時代行列が続き、夢中でシャッターを切る。境内には屋台が並び、浴衣姿の若者が危なっかしい足取りで太鼓橋(反橋)を渡る。相変わらず太鼓橋の傾斜はきつい。気をつけて登らないとこわいが、降りる方がもっとこわいのである。橋のたもとに川端康成の文学碑がある。

「反橋は上るよりもおりる方がこわいものです。私は母に抱かれておりました。」

(「反橋」より)

大阪市の天満宮の近くに生まれた川端は、自分の生地に触れることを徹底的に拒否し、何と彼の作品の中で大阪の地名が出てくるのはこれ一作だけだそうだ。文学碑を建てようという話になった時、どこに建てるか選定に苦労したらしい。中学時代を過ごした茨木市には記念館もあるんだから、無理に大阪市内に碑を建てる必要もないと思うが。

別の日に、天満宮近くの生家跡を訪ねた。現在は相生楼という料亭が建つその門前に、「川端康成生家跡」の碑が建つ。

住吉大社のすぐ近くに、大阪最初の都市公園である住吉公園がある。

大阪では珍しく大木が多く、藤棚の下では、老人達が将棋に興じている。
公園の入り口に芭蕉の句碑がある。

升買ひて分別かはる月見かな


元禄七年九月十三日、芭蕉が住吉大社の「宝の市」に出かけた折の句。江戸時代は縁起物の升が売り出され、商売ますます繁盛という訳で大いに賑わったそうである。
 宝の市見物の後、当地で句会を催す予定であったが、芭蕉翁体調すぐれず、「升を買ったら気が変わって、月見よりも家でゆっくり休みたくなった」と、非礼を詫びた句である。