大阪文学散歩もど記  〜鎗屋町〜 

谷四の交差点から谷町筋を北上。二本目の通りを西へ曲がり、鎗屋町に入る。まず目につくのが、子役養成の劇団。母親に連れられた子どもがどんどんビルの中に入っていく。将来のタレントめざして。
 焼肉屋、喫茶店、雀荘、居酒屋、社交ダンス教室、オフィスビル、マンションなどが混在する。

道の左側に「月山貞一旧居跡」の碑があった。幕末から明治にかけて活躍した大阪新刀の名工であるとのこと。このあたり、刀剣類を商う人たちが集まっている町で、西鶴の父も同商売であったらしい。大坂城も程近い。

谷町筋から二本西の筋を御祓筋という。熊野街道の跡と言われている道だ。鎗屋町通と御祓筋との交差点付近に西鶴の住居はあったという。碑も案内板も何もない。思い切り想像力を働かせてみる。

再び谷町筋に戻り、谷三の交差点を南下。東側に「西鶴終焉の地」の碑があった。
 西鶴没後三百年を記念して建てたとのこと。 
「平成五年九月二十五日西鶴文学会」とあった。

さらに西へ行き、東横堀川近くの植え込みの中に、
西鶴文学碑が建つ。「日本永代蔵」の一節が刻まれている。

井原西鶴は、大阪の鎗屋町で幼い頃を過ごしたという。そして、このあたりで没したらしい。そんなこと、大阪人でもほとんど知らないだろう。行ってみたけど、案内板もほとんどありませんでした。