大阪文学散歩もど記 〜新町〜

 現在の四ツ橋筋あたりから西、なにわ筋の東、長堀通の北の地域は新町廓があり、幕府から公許された大阪唯一の遊廓であった。現在は「新町」の地名は残っているものの、当時の面影は全くない。
 東と西に大門があり、東の大門へは西横堀川に架かる新町橋を渡った。この橋は川の埋め立てのために取り壊されたため、橋柱だけが高架道路下に残され、説明文がある。

新町橋

また、厚生年金会館前の新町北公園にもゆかりの碑が建つ。「新町九軒桜堤の跡」と記された碑である、近松門左衛門作の「女殺油地獄」の与兵衛が足しげく通ったのが、新町廓である。中でも九軒町の吉田屋が有名で、店の前に堤を築き、桜を植えていたとされる。
 
もう一本、加賀の千代女が詠んだ句碑が残っている。
 「だまされて 来て誠なり 初桜」
 新町の遊女は西鶴、近松の作品に多く登場する。

そうした大昔のことは全く関係なく、都心の公園でサラリーマンたちが昼休みを楽しんでいた。

 また、この公園の中央に百田宗二の文学碑がある。申し訳ない、この人のことは何も知らない。名前ぐらいは聞いたことあるが。

現在の新町界隈

新町九軒桜堤の跡
百田宗二の文学碑「何もない庭」