奈良の大仏

すめろきの 御代栄えむと 東(あづま)なる 陸奥山に 黄金(くがね)花咲く   (大伴家持  18−4097)

仏造る 真朱(まそほ)足らずば 水溜まる 池田の朝臣(あそ)が 鼻の上(へ)を掘れ (大神奥守 16−3841)

大仏殿の周辺を歩いてみた。大仏様は今も昔も奈良にとって、最も重要な観光資源である。奈良時代の一大国家プロジェクトである大仏建立を、直接詠んだ歌はない。
 
最初の歌は、大仏に塗る金が陸奥で発見され、天皇の世の繁栄を祝う歌。
 
次の歌は、大仏に塗る真朱(硫化水銀)が足らないなら、池田某の鼻の先でも掘れという戯れ歌。池田さんは酒飲みで、いつも鼻が赤かったらしく、同僚がそれをからかっている。人々に無理を強いる大仏建立を冷やかしているようだ。このような歌がちゃんと残っているところが、万葉集のすばらしさである。
 
 南大門をくぐって正面から見る大仏殿よりも、北側の講堂跡から眺める姿が美しい。訪れる人も少なく、鹿を冷やかしながらのんびりと歩くのにいい道だ。
 京都から大和をめざし、京街道を北上する。奈良阪を越えたところで、突然大仏殿が現れる。大和をめざした古代人は、大仏殿の甍を目にし、大和に着いた喜びを感じたことだろう。

講堂跡  奈良阪