2006年8月27日(日)   ならまち北をウロウロ


 元興寺を中心とする「奈良町」は有名になって久しいですが、東大寺、興福寺をはさんだ北側の地域も、かつては大いに賑わった場所でした。数年前から、「ならまち北」として何とか町興しをしようという動きも出ています。個人的には、この地域で育ったこともあり、特別の思い入れがあります。今日は久しぶりに、このあたりをウロウロしてきました。


今日もまた、奈良ドリームランドの近くを通りました。
閉園前最後の日曜日、前の道が渋滞するほどのにぎわいを見せていました。
駐車場の様子で、にぎわいを想像してください。
周回列車、弁慶号が走っています。
黒髪橋から県道を見下ろす。かつてここには、関西鉄道大仏線のトンネルがありました。
奈良豆比古(ならづひこ)神社です。
本殿の裏に、大きな樟(くすのき)があります。
樹齢一千年。幹周り約12.8メートル 高さ約30メートルです。
本殿です。毎年10月8日に、「翁舞」が奉納されます。
植村牧場。こんな町中に牧場があります。
ポニーさん。
牛さんたち。
真向かいに、般若寺があります。
間もなく、境内が秋桜(コスモス)で覆われます。
奈良少年刑務所。レンガ造りのすばらしい明治建築です。
9月9日、10日は「矯正展」があり、一般人も中に入れます。
北山十八間戸です。
北山十八間戸は、鎌倉時代、忍性により建てられた施設で、ハンセン病患者を収容し、その施療にあたったところです。部屋が十八あり、何万人もの患者を救ったそうです。
これが説明文。
佐保川にかかる、「石橋」という名前の橋です。
文字通り石でできた橋です。できたのは、何と慶安三年(1650年)ということです。
350年以上も、現役で頑張っているんですね。
北向地蔵さん。このあたり、このような地蔵さんがたくさんいます。
多聞城跡です。多聞(たもん)城は、戦国時代の武将松永久秀によって築かれました。乱暴狼藉を働いた松永久秀は、東大寺大仏殿も焼き討ちにしてしまいますが、筒井順慶によって滅ぼされます。
多聞城跡からの眺め。現在は中学校の校地となっています。
聖武天皇御陵。
聖武天皇御陵です。
一条通りを東へ向かいます。
古い法蓮作りの家が、残っています。
一条通り。子どもの頃は、毎日このあたりで遊んでいました。
鹿の角細工のお店です。
祇園祭の何かの道具も、ここで作られていると聞いたことがあるんですが。詳しいこと忘れてしまいました。
「理」があぶない!
転害門(てがいもん)が見えてきました。
子どもの頃からある、大門(おおもん)市場です。まあしかし、いつまであるのかと心配しています。店舗もすっかり減ってしまいましたし。昔ながらの市場に頑張ってほしいものです。
転害門。数少ない天平時代の遺構です。堂々とした作り。
この門を毎日見て育ちました。
横から見上げます。
ここの管理人が6年間通学された、由緒正しい小学校。
この校舎でお勉強されたそうです。

おーい、みんなどうしてる?
ここの管理人が1年間通園された、由緒正しい幼稚園。
小学校の真ん前にあります。
幼稚園の前を、鹿の家族がお散歩です。
大仏池です。紅葉の頃に来てみてください。
言うとくけど、すばらしいで!
正倉院です。
鹿の大群が・・・
奈良公園が何やら騒がしい。
毎年8月最後の土日に行われる、バサラ祭りです。

「踊る・なら・そらっ!」
まあ、こうやって踊らはるわけですね。
これもバサラ祭り。三条通りを行進します。
バサラ祭り。ご苦労様です。このあと、空が真っ暗になり、猛烈な雨が降ってきました。