大阪市内の熊野街道をテクテク
今回大阪の町をウロウロ歩いていると、「熊野街道」の石碑を目にすることが何回かあった。ふーん、大阪にも熊野街道があったのか、一度調べてみるか。ということで、大阪の市街地を南北に走る街道のことを少し調べてみたくなった。
平安時代中期から盛んになった熊野詣。多くの参詣者で賑わい、「蟻の熊野詣」といわれた。京を出発した人々は、淀川を舟で下り、現在の大阪天満橋付近の八軒家から陸路をたどり、はるか遠くの熊野をめざした。街道の要所には王子と呼ばれる遙拝所が設けられた。人々は王子に立ち寄り、熊野権現に祈り、旅の安全を祈った。熊野まで九十九の王子があったという。
今回私は八軒家を出発し、大阪市南端の住吉大社まで歩いてみた。王子跡をたどることを主目的にしながら、街道周辺の町歩きを楽しんだ。
@八軒家船着場
京を出発した人々は、淀川を舟で下り、現在の大阪天満橋付近の八軒家で上陸した。 土佐堀通沿いの昆布処永田屋本店の店先に、「八軒家船着場」の碑がある。横に「八軒家の今昔」という冊子を置いてあり、随分参考にさせていただいた。このあたりに八軒の船宿が並んでいたので「八軒家」というらしい。
昆布屋さんから少し西へ行くと、古い石段が見えてくる。この石段は八軒家の船着場の名残りらしい。古い絵図を見ると、確かに船着場から石段が続いている。淀川の水位の変化に対応するために設けられたとのこと。石段をあがると北大江公園である。
A坂口王子伝承地
南大江公園の片隅に、第二王子にあたる坂口王子の伝承地があった。かつてこの地にあった朝日神明社が坂口王子の跡らしい。公園内には鳥居もある。「大江」のつく公園が三つあり、いずれも都心の何の変哲もない公園だが、調べてみると色々由緒があっておもしろい。
B榎木大明神
御祓筋をずっと南下してきたが、長堀通手前の坂に沿うような形で榎木大明神がある。大阪大空襲のおりにも、この神社のおかげであたり一帯は類焼を免れたそうである。地域の守り神であり、ご婦人二人が熱心に清掃をしておられた。熊野街道を歩く人たちにも、この大木はよほど目立つ存在だっただろう。別稿に譲るが、直木三十五の文学碑がある。
C上汐筋へ
榎木大明神の坂を下り、長堀通を東へ進む。谷六の交差点を渡り、谷町筋から一本東の筋が上汐筋。一応この道が熊野街道の続きと推定されて、碑がいくつも建っている。実はこのあたりから四天王寺までの道筋には諸説あるらしく、秀吉が寺町を形成した際に、本来の古道は消滅してしまった可能性もあるらしい。確かに御祓筋と上汐筋を一連の街道と考えるのは無理があるような気もする。
まあ言うてても仕方ないので歩き続ける。空堀商店街を横切り、古い家並の残る道を下り、上町中学校前を通る。右手に楠大明神の大きな楠が見えてくる。道の真ん中に堂々と鎮座している。楠の下には小さな祠がある。道の真ん中にあるので、お参りするのも大変だ。
このあたりで雨脚が大変強くなってきた。上六で小一時間休憩する。
D上野王子跡
何とか小降りになったので、熊野詣を再開する。上六から南へしばらく歩き、上宮学園の近くに王子跡があるという。上之宮台ハイツの玄関前に「上宮之址」碑があった。ここが熊野街道の上野王子跡と推定されているらしい。
西へ向かうと、国際交流センター。再び上汐筋を南下する。
E四天王寺
参拝者でごった返していた。老いも若きも日本人は信心深い。私もこの寺には何回も来ているが、熊野詣関連の遺跡があるとは知らなかった。南門を入ったところに「熊野権現礼拝石」が保存されている。とても大きな石で、人々はこの上に立って熊野権現を礼拝し、旅の安全を祈った。八軒家を出発して、まだ熊野詣は始まったばかりだが、人々は四天王寺に立ち寄り、熊野に思いを馳せたのである。私はもう歩き疲れてしまい、旅の終わりを祈っている。住吉さんはまだまだだ。こんな調子では熊野まで行けるわけがない。昔の人はすごいなあ。
F堀越神社
第一王子の窪津王子が後の時代堀越神社に合祀された。谷町筋に面しているので、車はひっきりなしに通り、天王寺さんへの参拝客も大勢歩いているが、一歩境内に入るとさすがに違う空気が流れている。
谷町筋を南下。やがて天王寺駅。JRを始め各種路線が集まる一大ターミナル。いつ来ても人であふれている。「現代の四つ橋」とでも言いたくなる、駅前の大歩道橋を渡り、あべの筋に入る。
Gあべの筋を南下
駅を離れるにしたがって、町並みも庶民的になっていく。阿倍野交差点に「八軒家から6.0キロメートル」の碑。歩道に熊野街道の説明板が埋め込まれている。埋め込み式を見たのは初めて。
この道を歩いていて思うのは、何と言っても大阪唯一の路面電車の存在のすばらしさである。この風景に日常的に接している人がうらやましい。
その南に阿倍王子神社。大阪府に唯一残る熊野街道の王子跡である。王子跡と思われる場所をいくつか歩いてきたが、今はその姿を消した所ばかりだった。ここ阿倍王子だけが当時のまま残っている。門前に「もと熊野街道」の碑がある。境内に入ると大きなクスノキが3本立ち、深閑とした雰囲気に圧倒される。高さ17メートル、幹回り3.2メートルとあった。時間が止まったような気がした。 昔の熊野詣での人々も見守ってきたのであろうか。ここまで4時間、さすがに疲れてきた。
別稿に譲るが、神社からあべの筋を隔てた歩道上に、梶井基次郎住居跡の碑があった。
I住吉大社へ
阿倍王子神社を出て、しばらく行くと晴明丘公園。入り口に「経塚」の碑がある。古代の古墳跡。聖徳太子がお経を埋めたという伝説が残る。
再び上町線の線路が合流し、やがて北畠の電停。豪邸が並ぶ。しばらく行くと姫松の交差点。電車道の一本東の道に入る。帝塚山の住宅街を歩く。大阪府公文書館、旧大阪女子大学校舎を経て万代池に到着。
ようやく住吉大社に到着。境内はおだやかで静寂に包まれていた。約5時間の旅であった。
しばらく休憩したあと、阪堺電軌上町線で天王寺まで戻った。
大阪文学散歩もど記 番外編