泉川 渡り瀬深み 我が背子が 旅行き衣 裳濡らさむかも
(不詳 13−3315)
恭仁大橋にて。大和と山城を隔てる川だが、大和平野では見られない大河である。山背道を通って旅するためには越えなければならない川だが、古代人は大変な苦労をしただろう。橋も架けられたが、洪水によってたびたび流失し、小舟か
浅瀬を探しながら渡ることも多かった。
「渡り瀬」を探すが、深い渡り瀬しかない。衣が濡れてしまわないか。夫の身を心配する、妻の気持ちがよく伝わってくる。
現在も木津川に架かる橋は意外と少なく、泉大橋から数えると、淀川に合流する八幡市まで6本ぐらいしかない。それだけ架橋が難しい川なのだろう。橋の上から流れを眺めれば、水量豊かで堂々とした流れである。子供の頃、木津川に遊泳場があり、連れて行ってもらって泳いだことを思い出す。
泉大橋