磐余池
ももつたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
(大津皇子 3−416)
桜井市から、橿原市香具山麓までを含む広い地域を、古来「磐余(いわれ)」と言った。その地域の中に磐余池があり、大津皇子の辞世の歌の舞台としてあまりにも有名である。ただし池は干拓され、田園の一部と化し、正確な場所はわからないらしい。磐余地域の地名に「橿原市東池尻町」「桜井市池之内」があり、池の存在を匂わせる。橿原市の御厨子(みずし)神社と桜井市の稚桜(わかざくら)神社にはさまれた部分が、どうも磐余池の跡らしい。小高い神社の丘から、低地になっている農地を見ていると、だんだんそこが池に見えてきた。
かわいそうな大津皇子よ。
御厨子神社から見た磐余池推定地
稚桜神社から見た磐余池推定地
稚桜神社
近くにため池があり、吉備池という。堤に万葉歌碑が二基建つ。本来の磐余池ではないが、ここから二上山が正面に見える。池の土手を駆け上がり眺めていると、すぐ下に民家があり、飼い犬に思い切り吠えられた。ため池を眺める怪しいやつめ。
陰謀にはめられ処刑された大津皇子。鴨はいなかったが、断腸の思いが伝わってきた。
大津皇子の歌以上に泣かせるのが、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌。
うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)と我が見む
(大伯皇女 2−165)
二上山にはゆかりがあったらしく、今も雄岳に大津皇子陵がある。この二人は実の姉弟だが、万葉の歌のやりとりを見ていると、姉弟の関係を超えた熱いものがうかがえ、どきどきしてしまう。
本来の磐余池ではない吉備池