夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてそ吾が来る 妹が目を欲り
                            (秦間満 15−3589)

 新羅へ行く船に乗る作者は、出航が少し遅れることになり、大和で待つ妻に会いに行くことにする。会いたい気持ちに火がつくと、もう我慢できない。次はいつ会えるかわからない、生きて帰れるかどうかもわからない。そう考えると、生駒越えなど何と言うこともない。ヒグラシも鳴いて、妻と一緒に迎えてくれるだろう。
 
 大和盆地のどこからでも見える生駒山。わずか640mの山だが、直登して越えるにはかなり難儀な山である。足場も悪かったらしい。したがってこの時代のメインルートは、迂回路である龍田越えであったらしい。でも、作者には時間がない。急坂を息を切らしながら越えていったのだろう。今は近鉄電車に乗れば一瞬でトンネルを抜けていく。でも、わずか百数十年前までは、みんな歩いて生駒越えをしていたのである。

生駒市立大瀬中学校にある歌碑
バックに生駒山があざやかに見える。

富雄川付近から

生駒山