井手の里

葎(むぐら)はふ 賎しき宿も 大君の 座さむと知らば 玉敷かましを
      (橘諸兄 19−4270)

 恭仁京遷都は、聖武天皇の気まぐれだとされているが、裏で操ったのは橘諸兄、奈良麻呂親子らしい。天皇もまた諸兄に信頼を寄せていた。京都府井手町は諸兄の出身地であり、近くには小野小町の供養塔もある。
 
木津から山背古道を北上。稲田や竹林の中を走っていく。途中、天井川を何本か渡る。JR奈良線のトンネルが川の下を走り、何だか不思議な気がする。山城町を過ぎ、井手町に入り、急坂を登ったところに橘諸兄公の旧跡、供養塔がある。丘の上は整備されており、木陰に風が吹いて心地よい。
 葎の茂るまずしい私の家に、天皇様がおいでになるとは。存じておりましたら、玉を敷きつめておきましたのに。天皇が諸兄邸を訪れた時の挨拶歌である。

六角井戸

歌碑

小野小町供養塔