芭蕉の場所を追いかけて(大和編)

綿弓びんびん物語 の巻


 貞享元年(1684)年9月、芭蕉さんは門人の千里(ちり)とともに、初めて大和を訪れる。「野ざらし紀行」(甲子吟行)の旅である。この旅を初めとして、芭蕉は大和を6回訪問している。中でも千里のふるさと竹内は、よほど気に入ったのか、何回も訪れている。


竹内街道に来ました。大和と河内を結ぶ、日本最古の国道と言われています。現在も街道筋らしい風景が、一部残されています。
茅葺き屋根の家もあります。
「綿弓塚」です。芭蕉さんの

〜綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥〜

という句をたたえて建てられました。綿弓とは、綿から種子やほこりを取り除くための道具。「びんびん」と音がし、琵琶を弾いたような音に聞こえたそうです。そんな音しか聞こえてこない、のどかで静かな里です。江戸時代は綿の産地だったんですね。
大和三山を眺めます。
塚の横には、大和棟の休憩所があります。
これが綿弓というものだそうです。
なるほど、なんだか楽器のように見えます。
竹内街道を戻ります。
当麻寺到着。
二上山が間近に迫ります。
塔頭のひとつ、中之坊です。
芭蕉さんの句碑がありました。光の加減で、全然見えなくて申し訳ありません。

〜僧朝顔幾死かへる法の松〜

これも綿弓の句と同じく。野ざらし紀行の際に詠んだ句です。
この寺の僧にしても、朝顔の花にしても、何度もその命を失っている。この大松は、もう千年以上生きているそうで、まことに尊いことだ。
中将姫さまです。蓮糸で当麻曼陀羅を、たった一晩で編み上げられました。当麻寺のご本尊は、曼陀羅です。
当麻寺西塔です。天平時代建築の東西両塔が現存しているのは、当麻寺だけだそうです。
 金堂と講堂です。数多くの国宝級の仏像、建物があります。もし当麻寺が京都の町にあったら、もっと有名になって、大騒ぎになったかも知れません。幸か不幸か、奈良盆地の端っこにあるもんで、ふだんは静かなものです。ボタンの季節だけ、お客さんが増えます。
さて、家路を急ぎます。王寺経由で帰ります。大和川を渡ります。
法隆寺南大門前通過。
金堂と五重塔。
夢殿です。
法輪寺の三重塔。
法起寺の三重塔。
夕陽が生駒に沈みます。
雲の造形。今日も一日が過ぎていきます。