大阪キタ周辺の巻


 芭蕉さんは何回か近畿を訪れている。本来はその旅のコースに沿ってレポートするべきだとは思う。旅に生きた芭蕉翁の足跡を追うからには。でも現実問題として、なかなかそうもいかないのですね。ある程度、地域横断的に回るのも仕方ないかなと思う。
 と自分に言い聞かせながら、大阪キタの繁華街周辺にある芭蕉翁ゆかりの地を訪ねてみることにします。


大阪天満宮に着きました。
十日前、天神祭見学に来たときは人がひしめき合っていて、身動き取れませんでした。今日はいくらでも動けます。溶けそうになる暑さで、人もほとんどいません。
ひとつ目の句碑発見。

〜行年や薬に見たき梅の花〜

この句は、芭蕉翁の句かどうか疑わしいそうです。
二つ目の句碑発見。

〜楳咲てよろこぶ鳥の気色かな〜

 この句は、芭蕉翁が江戸深川で詠んだ句だそうです。
 いずれの句も、天満宮とは何の関係もないんですね。梅を詠んだ句だから、道真公ゆかりの天満宮に句碑を建てたんでしょうね。
境内には他にも句碑やら歌碑やら。
筆塚やら。
天満宮を出ます。9月にオープンする天満天神繁昌亭です。寄進した法人名の入った提灯がつけられました。当初は、寄進された個人の方の名前入りの提灯も下げる予定でしたが、スペースの関係で法人だけになったとか。館内の壁やら天井やらに、小さいのを下げるという話もあります。
天神橋筋商店街を行進。
太融寺さんに着きました。
おっと! 境内大工事中でした。
お目当ての芭蕉さんの句碑も、立入禁止区域にあり近づけません。何とか撮影しましたが、裏面しか見えません。多分表には

〜白菊の目に立てて見る塵もなし〜
とあるはず。
元禄七年(1694年)9月に大坂入りした芭蕉さんは、9月27日、園女(そのめ)の家に招かれる。芭蕉さん体調悪いのに、園女さんを誉めたたえる挨拶句を詠みます。
 ちなみに園女という女性、江戸から大坂に越して来たんですが、それを知った西鶴先生が大喜びしたというほどの美女だったそうです。
 芭蕉がこの日に園女宅で食べた、大量のきのこ料理が直接の死因になったとの説もあるそうです。何かとお騒がせの女性であったようですね。

 翌9月28日にも句会がありましたが、芭蕉さん体調悪くて出席できず、発句だけを届けました。それが、
〜秋深き隣は何をする人ぞ〜
という句です。
境内にお滝がありました。
自由民権運動のきっかけとなった会議が、ここ太融寺で開かれたそうです。
横綱玉の海さん。
太融寺を出て、梅田の地下街を行進します。
地下街に川が流れています。ハービス大阪です。
ハービス大阪を上がると、もう福島駅の近くでした。
阪神高速がビルの中を通っています。
JR福島駅。
駅前の聖天通商店街は、「売れても占い商店街」として頑張っています。
 とにかく溶けてしまいそうな暑さなもんで、誰も歩いていません。 物好きは俺だけかと、強く自覚しました。
有名な日本茶のお店です。
了徳院=浦江の聖天さんに着きました。
芭蕉翁の句碑です。

〜杜若語るも旅のひとつ哉〜

時代物で風格があります。ほとんど読めません。
これでわかりやすい。
 ここ浦江は、杜若の名所だったということですね。
 元禄元年(1688年)4月、「笈の小文」の旅で芭蕉は初めて大坂を訪れました。この頃はまだ元気だったんだろうな。
 しかしまあ、境内にまとまりがないというか、混沌としています。石碑やら置物やら灯籠やら大理石やらベンチやら藤棚やら猫やら雀やらが所狭しと溢れかえって、とても楽しい雰囲気です。これぞ庶民のお寺ですねえ・・・とは書いたものの、お寺なんだか、神社なんだか、これもはっきりしない。
 芭蕉さんの句碑も、こんな龍さんと一緒に建っています。