あられ松原
霰打つ あられ松原 住吉(すみのえ)の 弟日娘(おとひをとめ)と
見れど飽かぬかも
住吉大社から、紀州街道を南へ下る。やがて安立町に、「霰松原」の古い碑が建ち、その横に長皇子の万葉歌碑が建つ。このあたりも近世までは海岸沿いの道で、堺まで松原が続く景勝地であったらしい。
長皇子は、この地で知り合った遊女(弟日娘)と、松の木に降るあられとを見比べて、「どちらの眺めもいいなあ」と、にやけている。
安立町とは、江戸時代に半井安立(なからいあんりゅう)という名医がこの地に住んだことに由来するとのこと。現在も、町中病院だらけだ。紀州街道沿いの町並みは、庶民的で、実に落ち着いた雰囲気である。こんな機会がなければ絶対に来なかったと思うので、訪れたことを本当にうれしく思う。
安立町界隈